2014年07月11日

インドの綿農家の平均寿命は35歳

綿 植物
(写真は、綿花)

平均寿命、わずか35歳。ファストファッションの裏で苦しむ、インドの生産者たち という記事をみました。


洋服が作られる素材でもある綿。

マスクや手袋を着けることなく、農薬を散布して栽培しているインドの綿農家の人の平均寿命はわずか35歳。オーガニックコットンは農薬を使用しない。ただし、インドでの生産率はわずか4%。当然、希少で高価。

食べるものだけでなく、着るもの、その他諸々etc.どんな作り方をしているか? 自分の手元に来るまでの過程で、どのくらいの人や生き物が幸せになったか?

いちいち、そんなの考えてたら疲れてしまうし、そんなこと考えてたら、何も食べれないし、買えなくなっちゃう。

でも、誰かや何かを搾取して、何も知らない顔をして、感謝もせず、文句ばっかり生きているなんて生き物に自分がなるのもイヤ。

たかが“モノ”でも、“食べ物”でも、そこに自分と同じ命を感じて、敬って敬意を払って接することができるようになれば、きっと自分も同じように扱われるようになる。ってか、人にしてもらうというより、自分で自分自身をそういう風に扱うようになるから、周囲にもそれが伝わって、“なんとなく”自然にそういう風に、扱ってくれるようになるんだと思います。



最近は、安全、自然派志向が増えてきて、ネットの世界でも、「あの食べ物は添加物が入っていて危険!」などの暴露や非難、拒絶もますますエスカレートしてきつつあるので、そういうのばかりを見ているとしんどくなります。

確かに、その通りで、おかげで、安全なもの、関わる人のこと、生き物の現実を思いやって、企業も社会を変えていく推進力となって、徐々に社会の意識も変わってきました。おかげで、私も、色々知れたし、とても助けられ、とてもありがたいです。

誰かを苦しめた上で作られたもの、食べ物とは言えないような危険なものを添加されたものを選ばないのは、当たり前のことです。

ただ、最近の風潮は、ダメなところを一つ見つけたら、もう相手が信じられない、そんなひどいことをするヤツは自分と同じ人間ではない、悪魔だ!と決めつけて糾弾するかのような痛烈な批判や非難、排除という気がして、なんか、これって、中世の魔女裁判ってこんな感じだったんじゃあ、、、と感じることがあります。

ちょうど今、社会の求めるものが大きく変わりつつあって、これまでの社会の価値観や求めるものが180度変わろうとしている大きな変化の時期だと感じます。

方向転換のために、色んなところに摩擦や負担、軋轢が大きく起こってきてるから、これまで意識されなかったことや、よしとされていたことに対する痛烈な批判や非難、拒絶、排除が激しく噴出する時期。変遷期ってそんな感じ。大きく変わるエネルギーなので、激しすぎて、厳しい。

でもね、、、、今、どんなにひどいことになっていたとしても、それを始めた最初の人の思いは、“多くの人を幸せにしたい。多くの人に十分な食べ物や、欲しいものが行き渡るように、安価で大量に生産できるようにしたい” というものだったんじゃないのかな?とも思います。たとえ、今、お金儲けや自分だけの利益に走っている企業だとしても。多くの人が喜んで買ってくれなければ、モノは売れません。モノが売れるということは、多くの人のニーズに合っていて、喜んでいる人が多いからです。

消費者も、それに気がついて、「いやいや、これまでそんなの知らなかったから買ってたけど、そんな中身ならもう買わないから!」と企業にアピールしはじめたのが今。それに気づきはじめて、路線変更をしないと、自社が潰れてしまう!と危機感を感じ始めているのも企業。

そんな過渡期なんだと思います。

これまでの流れを大きく変えようとしているので、とにかく、激しく、嫌なものはイヤ!ダメなものはダメ!とハッキリと宣言しないと相手に伝わらないから、そんな流れになっているから仕方ないと思います。

でも、これまで流通してきたものは、いきなり大きく変わらない。少しずつ、少しずつ、、、、です。

どんな作られ方をしたものでも、どんな原料、素材を使っていようとも、とりあえず、自分の手元に縁あって来たものは、どんなにダメなものでも、どんなに危険なものでも、とりあえず、優しく受け止めて、認めてあげる、敬意を払ってあげることをしてあげると、きっと、自分自身や、自分の周囲の人、自分が関わる社会や世界に対しても、同じようにしてあげられるようになる。

なんかね、最近の風潮をみていると、まるで、虐待されてきた子供が息絶え絶えでやっと辿り着いたのに、「そんな育てられ方をした子供はろくなものじゃないから、関わりたくない。あっちへ行け!」と、突き放して捨てているようなイメージが沸いてくるのです。

「大変だったね。頑張ったね。確かに、あなたの育てられ方はまともなものではなかったから、あなたが抱えている問題はいっぱいあると思う。その問題が、あなたをひどい状態にしている。でも、あなたは本来そんな存在じゃない。そんな風に扱われてきたから、自分がそんな存在だとあなた自身でもそう決めつけてしまっているだけ。でも、本当のあなたは、そんな存在ではない。スゴイ力がある。せっかく出会えたんだから、私はそんなあなたの力を精一杯思い出させて、引き出そう。あなたの力を私に貸してほしい。大変な道をきてくれてありがとう。あなたに会えて嬉しい」

と受け入れると、さて、、、。

これが、食べ物だったら? 洋服だったら?

食べ物に光を入れると害がなくなる、おいしくなる、食べ物に「ありがとう」と感謝するようにすると、有害な添加物からの害が軽減する etc. など、よく言われますが、結局のところ、こういうことじゃないでしょうか。

人間だって、100%受け入れられ、認められ、愛されれば、潜在能力が伸び伸びと開化し、すごい才能が発揮されるようになります。免疫力もアップし、元気になります。健康になります。

食べ物に光を入れると害がなくなる、おいしくなる、食べ物に「ありがとう」と感謝するようにすると、有害な添加物からの害が軽減する etc.というのも、結局同じことじゃないのかな。そうすることで、自分の免疫力もアップするし、食べ物の潜在パワーや弱っている力も活性化される。

いいもの、安全なものを選ぶのは、もちろんですが、そんな社会の中で汚染されたもの、命の権限を虐げられて奪われたもの、搾取され奴隷の意識を植えつけられたものが、縁あって、自分のところにやってきた時、「きゃー!怖いものきた!あっち行け!!」と放り投げるんじゃなく、こんな風に接してあげれば、目に見えないレベルでも何かが変わりだすんじゃないでしょうか。それは、そのものや社会だけでなく、たぶん、自分自身に対しても。

自分を通過して、大地や地球の循環に戻り、そして、また、ご縁で自分の元にやってくる。

せめて、自分を通して循環に戻すなら、そのものを励まして、愛して、認めて、自分の価値を思い出して輝いてもらって本来の自分を思い出させてあげてから戻してあげれば。。。

それが、また巡り巡って自分の元にも、またやってくるのですから。

そうすれば、それ自身が "私はこんな不当な扱いを受ける低い存在じゃない!" というエネルギーを発し始めますから、それを扱う人間にも、なんとなく、それが伝わります。

大切に扱われたものは、何かオーラを発しています。それを感じて、それを引き継いだ人も、なんか大切に扱わないといけないような気がして、大切にするという感じ。

あ、すっかり脱線しちゃいましたね(笑) 

自分に関わる人や物、全てに対して、そんな意識で接すると、たぶん、何もしていなくても、世界平和に貢献することになるんじゃないかな?

ある人によれば、地球が出来た時から、地球上の全“素材”の総量は変わらないんだそうです。

人間の体を構成するのに使われた“材料”は、死んだ後、土や空気中に返り、地球上の他の生き物に使われて、循環していく。

そう考えると、地球上に存在しているものは、全部兄弟、家族。

私は、フラワーエッセンスをしていますから、波動からも見ます。全ての存在は、振動しています。バイブレーションを発しています。そのバイブレーションが美しいものでなければ、エネルギーもとても低くなります。

なので、全ての存在のバイブレーションを本来の美しいバイブレーションに戻してから、地球に返してほしいですね~。結局は、巡り巡って、自分もそれを使うことになるんですから。

たぶんですけどw、周囲の物や食べ物に対する態度は、そのまま自分自身に対する態度として現れているんじゃないかと思います。“これが入っていないから価値がない” とか、そういうのw。

たぶん、どんなにダメダメでも、「かわいい♪」と思えるなら、きっと、自分自身に対しても、どんなに自分がダメダメなことをしても、優しく、「そんな自分もかわいい♪」と愛してしまえる。

そんな練習を、自分のところに来る食べ物や、物を通してしてしまえるという点でもよいですね(^^)  


Posted by フラワーエッセンス研究家 葛葉 at 10:43薬品、薬を使わない暮らしつれづれ体に優しい食べ物・飲み物

1990年にフランスで開催されて以来、世界各国で開催。
これまでで最大規模で、2014年5月2日~6日 日本で13年ぶりに開催。