フラワーエッセンス研究家の葛葉です。 › 2014年09月
2014年09月30日
道具

失われて行っている、日本の伝統的な「手仕事」。
昔は、人間に合わせて職人が道具を合わせていたけれど、大量生産で安価になった反面、今度は人間が道具に合わせないといけなくなった という記述に、ハッ!とした。
なぜなら、すでに私の世代には、それが当たり前のことだったから、使いにくくても、多少不便でも、道具に自分が合わせて、それを使うのが普通になってるから。
ささいなことだけど、ささいだからこそ、潜在意識に、そういうのが知らず知らずのうちに、刷り込まれていくのがコワイ。それは、主が人間ではなく、主は道具、人間が従が当たり前という意識を密かに刷り込むことになるから。
つくも神ってご存じですか?
【付喪神(つくもがみ)とは、日本の民間信仰における観念で、長い年月を経て古くなったり、長く生きた依り代(道具や生き物や自然の物)に、神や霊魂などが宿ったものの総称】
人間の意識は、物にも魂を拭き込むくらい、すごいんですよ。
大切に大切に、敬意を払って扱うことで、なんと、ただの道具が神様になるのです。
職人さんが精魂こめて作る道具は、すでに、生まれた時からそういうの入ってそうですよね。
でも、きっと、工場で作られる大量生産のものには、入らないのでは。
代々職人を継承していくことで、何世代もの智恵や知識や経験が子孫に伝えられていく。
そういう“体感”や“経験”は、マニュアルや、ただ、作り方を覚えるだけでは伝わらない。
そういった手仕事がどんどん無くなっていくことで、私たちは、そんなすごい経験や智恵や知識も失うってこと。
とても、残念です。
私は、麻ひも産み出しをすることにしました。これも、手作業でしか作れないもので、消えかかっているもの。
手作業は、物を産み出すだけでなく、作り上げる過程で、いつしか、思考がとまり、変性意識的な意識になっていき、日頃のストレスが開放されたり、そんな状態で、女性たちが集い、会話してシェアすることで、エネルギーレベルでも大きく変わるのを感じます。
教えられるようになりますので、ぜひ、みんなでやりましょう(^^)
これも、コミュニティを形成して、人や地域が繋がりあう重要な鍵になるはずです。
2014年09月25日
育児
反抗期(なのかな?)の息子、何を言っても素直にきかず、反抗ばかり。
「自分がしたことは全部倍になって自分に返ってくるよ。その覚悟でやりなさい。私は事前に何度も警告をしてる。言われた通りにやらないなら、後で困ったことになっても私は知らない。自分で責任をとりなさい」
まだまだだな。全然効いてない(笑) 逆に、あんまり突き放すのが仇となり、さらに火に油を注いでるような気がしないでもないw
最後の策は、スポイル親演技?(「XXちゃん、かわいそうねぇ。XXちゃんは何も悪くないの。お母さんが全部やってあげるから、あなたは何もしなくていいのよ~」的なヤツ(笑)) そういうのやったことないから、たぶん、ヤツはそういう扱いをしてほしくて、駄々をこねてそうなところもあるんじゃないかと見受けられる。
たまに、やってみようと試みたことはあるけど、途中で笑けてきて、私も息子も大笑いして終わってまうw
人間は感情の生き物だ。理性や分析、正論など通り越して、気分を害されたら、そんなのぶっとんで感情的になる。理不尽な感情だって、後から思考は、それに対して適当な理由をつけて、自分を正当化してしまう。この構造は、相手が子供だと、特に無意識のうちにやってしまう。
そういった感情を刺激されるのは、ほんのささいなことだったりする。ちょっとした態度や一言で、“私は軽んじられている”とか、“私は拒絶された。愛されない”とか、自分で勝手に瞬間的に、無意識に思い込んで、それを感じなくていいように、自分を正当化したり、恐れや不安を隠すために高圧的に出たり、場合によっては、相手を攻撃する。
これは、生き残るための本能に近いようなものだから、とても強烈すぎて、自分でコントロールするのが難しいし、自分で気づけない時も多い。後から思考が、あたかも正論に見える言い訳や口実をつけて納得させるから、ますます巧妙すぎて気づけない。
子供はストレートにズバッと突いてくる純粋な存在でもあるから、ストレートすぎて、大人は不意討ちで強烈なダメージを受ける時がある。
いやいや、でも、そこに傷がなければ、何もイタイ一言ではないんだけどね(笑) 小さい頃犬に噛まれて恐怖症になった人が、犬と聞いて恐怖を思い出すようなもの。
そんな仕組みが分かっていても、なかなかコントロールできるものでもない。
そういう時は、口に出して、「プンプン!私は今は怒っている!!」、「(あなたのそんな態度で)気分が悪い!」、「悲しい!」と、口に出して言う。
不思議なことに、そうすると、自分の感情に呑み込まれず、逆にゲーム感覚で、自分のそんな感情の沸き上がりと遊ぶことができる。
「今ものすごく嬉しくなった!自分が嬉しくなると、他の人も喜ばせて幸せにしたくなる。あなたにも、何か喜ばせることをしたくなってきた!」とも言うし、
「あー!仕事がうまく進まなくてイライラする!イライラするから、八つ当たりしていい?あ、ちょうどそこにおあつらえ向きの子供が、、、。八つ当たりしても、後から適当に理由つけて人のせいにしたらいいし。大人はそういうズルいこと出来るんだよなぁ。八つ当たりしていい?」
と、息子に言う(もちろん、ダメ!とキッパリ断られる(笑))
こういうことを言ってる間に、感情爆発のエネルギーは、どんどん減ってくから、いつの間にかなくなる。
理不尽な感情爆発の被害者になる場合もあることが
ほとんどなんじゃないかな。
かく言う私も、息子の反抗期八つ当たりの被害をこうむっております(笑)
でも、まぁ、息子を見ていたら、そんな冷静に対応せず、怒るなりして、興奮するドラマを繰り広げてくれ!というコントロールドラマを望む姿勢も感じるのよね。まだ、小さいのにどこでそれを身につけた?と思うけど、これが集合意識かぁと納得。
コントロールドラマとは、相手を怒らせることで、自分が相手にされていると安心してエネルギーを得ることが出来るなどと言った、人からエネルギーを奪って自分にエネルギーを得るという無意識のネガティブなパターンを相手にしかけて取り込むということ。
相手が乗ってこないと、不安になったり、落ち着かなくなったりする。気分は、釣りに来て、絶対魚が大好きですぐに食いつくエサをつけてるのに、釣れないどころか、逆に“何してんの?これ、食べるものじゃないじゃん。僕は食べないよ。なんで、こんなのエサにしてるの?”と魚に見られてるのに近いw
そんなのせずに、何が欲しいか伝えてくれるだけでいい。何が欲しいの?
と説明を求めると、混乱して逃げてっちゃうんだよなぁ(^^;
うちの息子は、今そこを練習させてるような気がしてきた(笑)
「自分がしたことは全部倍になって自分に返ってくるよ。その覚悟でやりなさい。私は事前に何度も警告をしてる。言われた通りにやらないなら、後で困ったことになっても私は知らない。自分で責任をとりなさい」
まだまだだな。全然効いてない(笑) 逆に、あんまり突き放すのが仇となり、さらに火に油を注いでるような気がしないでもないw
最後の策は、スポイル親演技?(「XXちゃん、かわいそうねぇ。XXちゃんは何も悪くないの。お母さんが全部やってあげるから、あなたは何もしなくていいのよ~」的なヤツ(笑)) そういうのやったことないから、たぶん、ヤツはそういう扱いをしてほしくて、駄々をこねてそうなところもあるんじゃないかと見受けられる。
たまに、やってみようと試みたことはあるけど、途中で笑けてきて、私も息子も大笑いして終わってまうw
人間は感情の生き物だ。理性や分析、正論など通り越して、気分を害されたら、そんなのぶっとんで感情的になる。理不尽な感情だって、後から思考は、それに対して適当な理由をつけて、自分を正当化してしまう。この構造は、相手が子供だと、特に無意識のうちにやってしまう。
そういった感情を刺激されるのは、ほんのささいなことだったりする。ちょっとした態度や一言で、“私は軽んじられている”とか、“私は拒絶された。愛されない”とか、自分で勝手に瞬間的に、無意識に思い込んで、それを感じなくていいように、自分を正当化したり、恐れや不安を隠すために高圧的に出たり、場合によっては、相手を攻撃する。
これは、生き残るための本能に近いようなものだから、とても強烈すぎて、自分でコントロールするのが難しいし、自分で気づけない時も多い。後から思考が、あたかも正論に見える言い訳や口実をつけて納得させるから、ますます巧妙すぎて気づけない。
子供はストレートにズバッと突いてくる純粋な存在でもあるから、ストレートすぎて、大人は不意討ちで強烈なダメージを受ける時がある。
いやいや、でも、そこに傷がなければ、何もイタイ一言ではないんだけどね(笑) 小さい頃犬に噛まれて恐怖症になった人が、犬と聞いて恐怖を思い出すようなもの。
そんな仕組みが分かっていても、なかなかコントロールできるものでもない。
そういう時は、口に出して、「プンプン!私は今は怒っている!!」、「(あなたのそんな態度で)気分が悪い!」、「悲しい!」と、口に出して言う。
不思議なことに、そうすると、自分の感情に呑み込まれず、逆にゲーム感覚で、自分のそんな感情の沸き上がりと遊ぶことができる。
「今ものすごく嬉しくなった!自分が嬉しくなると、他の人も喜ばせて幸せにしたくなる。あなたにも、何か喜ばせることをしたくなってきた!」とも言うし、
「あー!仕事がうまく進まなくてイライラする!イライラするから、八つ当たりしていい?あ、ちょうどそこにおあつらえ向きの子供が、、、。八つ当たりしても、後から適当に理由つけて人のせいにしたらいいし。大人はそういうズルいこと出来るんだよなぁ。八つ当たりしていい?」
と、息子に言う(もちろん、ダメ!とキッパリ断られる(笑))
こういうことを言ってる間に、感情爆発のエネルギーは、どんどん減ってくから、いつの間にかなくなる。
理不尽な感情爆発の被害者になる場合もあることが
ほとんどなんじゃないかな。
かく言う私も、息子の反抗期八つ当たりの被害をこうむっております(笑)
でも、まぁ、息子を見ていたら、そんな冷静に対応せず、怒るなりして、興奮するドラマを繰り広げてくれ!というコントロールドラマを望む姿勢も感じるのよね。まだ、小さいのにどこでそれを身につけた?と思うけど、これが集合意識かぁと納得。
コントロールドラマとは、相手を怒らせることで、自分が相手にされていると安心してエネルギーを得ることが出来るなどと言った、人からエネルギーを奪って自分にエネルギーを得るという無意識のネガティブなパターンを相手にしかけて取り込むということ。
相手が乗ってこないと、不安になったり、落ち着かなくなったりする。気分は、釣りに来て、絶対魚が大好きですぐに食いつくエサをつけてるのに、釣れないどころか、逆に“何してんの?これ、食べるものじゃないじゃん。僕は食べないよ。なんで、こんなのエサにしてるの?”と魚に見られてるのに近いw
そんなのせずに、何が欲しいか伝えてくれるだけでいい。何が欲しいの?
と説明を求めると、混乱して逃げてっちゃうんだよなぁ(^^;
うちの息子は、今そこを練習させてるような気がしてきた(笑)
2014年09月15日
「自閉症の僕が飛びはねる理由」を元にしたNHKドキュメント

9/13のNHKスペシャル
「君が僕の息子について教えてくれたこと」。
動画はこちらで観れます
→
自閉症の中学生が会話はできないけど、文字、キーボードなら自分の思いを表現することができる。それで出版できた本。8年前に日本で出版された本が今世界中で自閉症の人に関わる人を救っている。
通常の人間からみると、いきなり奇声を発したり、跳びはねたり、何かにずっと固執して動かない、じっとしていられない自閉症の人をみると理解が出来ない。
なぜ、そうしてしまうのかを東田さんが本に書いているのは、彼らが見ている豊かな感性の世界。
周囲とコミュニケーションをとりたいけど、自分の言動、記憶(昔も今も時系列に並んでいない)がコントロール出来ないから、もっと色々会話したくても出来ない。思いはみんなと一緒なのに、それを伝える言動をコントロールできない。
「空に吸い込まれてしまいたい。どこか遠くに飛んで行きたい気持ちになる。思いっきり羽ばたいてとんでいきたい」それが空に向かって飛びはねる理由。
ある家族は、自閉症の息子をみて「自分でない他の生き物の体に押し込められたようだ。本来いるべきところではない体から出られないように見える」と言っていました。
東田さんのように、高度な表現力を持つ自閉症の人はいないそうです。
それがなぜなのか、研究もはじまりました。東田さんの脳の機能を調べると、言動で表現する部分を司る脳の部分が機能せず、かわりに他者の感情を感じとる部分が通常の人よりかなり大きく発達している。
脳は機能しない部分を補おうとして、他の能力を発達させることがある。
東田さんには、何時間もじっとして拘束される飛行機はパニックを起こすほど怖いもの。人の視線が一番怖い。でも、東田さんの本を読んで、東田さんの話が聞きたいという人に会うため、東田さんは必死に行くのです。
他者の感情を感じとる感性が通常よりかなり高く、自分の家族や周囲の人、動物や自然にとても優しい彼ら。
そんな彼らが、言動と表現をコントロール出来ないために、周囲に伝えられない、誤解される、何も分かっていないとして扱われる。
あぁ、めっちゃ泣けました(T_T)
東田さんの著書「自閉症の僕が飛びはねる理由」 http://amzn.to/1wltY0q
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これまで自分が当たり前だと思い込んでいた価値観を全て手放し、ネガティブもポジティブもない完全にゼロから、相手を見つめて、観察して、感じ取ることが大切というメッセージを感じることが、どんどん増えてきました。
アメリカ留学に行っていた友人の言葉が印象的でした。
『言葉(英語)を話さないと、何も考えていない、意見のない人(=馬鹿)と決めつけられ、相手にされない。だから、私は“私だってちゃんと考えている!ちゃんと意見を持っている!そして、それを伝えたいと思っている!”と言いたくて、必死に英語を話せるように頑張った』
話せなくても、聞くほうは理解できる(けど、そのスピードが早すぎてついていけない)だけに、自分が周囲の人たちと普通に会話できるようになるまでがとても辛かったそうです。会話が出来るようになり、友達ができはじめると、留学生活がやっと楽しくなってきたと。
自閉症の人もそうだけど、ある日いきなり事故や病気で体が動かせなくなった人も、それと同じ、いえ、それの数百倍辛いはずです。
でも、私たちは、これまで刷り込まれた常識 - こちらが分かるような形で表現できない人は意見がない、何も考えていない、おかしい、狂っている - で全てを機械的に決めつけているところがあるのでは、、、。
よく考えたら、人間以外の存在 - 動物、植物、地球 etc.とコミュニケーションしようと思えば、人間同士で当たり前とするコミュニケーション法は使えないのが当たり前で、必要となってくるのは、相手に心を開くこと、相手に対する先入観を持たないこと、愛をもって受け入れること、そうして接しながら、湧いてくる自分の感性や直感を感じとり、現実レベルに繋がる行動を起こすことが出来ないと難しい。
体が全く動かなくなって、周囲とコミュニケーションをとれない寝たきりの人とのコミュニケーションのしかたを伝える白雪姫プロジェクト(「宇宙の約束」のかっこちゃんが中心)で活動をしておられる方としばしばお話しする機会があります。
指談という、かすかな指の動きから、伝えたいことを受けとる方法があります。
そんな患者を見守る家族のうち、それがすぐに出来るようになるのは、若い女の子が多いようです。
他の家族は、
“こんなことで分かる訳がない”、
“私にそれができるのかしら?”、
“希望を持つと、あとで裏切られた時にさらに辛くなる”、
“この人がこんなことになったのは私の責任だ”
“こう言っているような気がするけど、私の勘違いかもしれない。自信がない”
“そんなことができるなら、真っ先に病院が教えてくれたはずだ”
“病院での治療以外のことをして、何かあったら大変だ”
というのが先に立ち、不安や恐れ、自分を責めること、これまでの自分の地域や経験が先に立ち、目をそらして逃げてしまうことが多いようです。
家族の中で、若い女性は、そこをすっ飛ばして、直感的に感じとり、ワクワクしてフットワーク軽く出来ちゃう人が多いのではないと思います。
自閉症の人、寝たきりでコミュニケーションがとれない人が増えている今、もしかしたら、時代のメッセージは、、、、なんて、感じます。