フラワーエッセンス研究家の葛葉です。 › 2014年12月
2014年12月28日
夢を追うこと

「グッと!地球便」は、いい番組だなぁ~と毎回思う。
海外に夢を追って飛び出し、暮らしている子供の様子を番組が追い、その様子を日本の両親に見せるという番組。
海外で頑張っている息子や娘たちの思いや、頑張っている様子に、何か忘れていることを思い出したり、自分の経験や知識や知恵を総動員して、行動しているさまに、ヒントをもらえたり。
一方、日本で子供を心配して、反対していた両親が、子供の生きざまや、この子だからこそ、この子らしいと納得して自分の子供を誇りに感じていく様子。
日本の両親からすると、日本の常識や、その中で安定して生きることしか見えていないのを、見ていて実感するし、その気持ちも分かる。
一方、海外でチャレンジしている子供をみていると、その枠の中で生きるのも自由だし、そこ以外のところに入って生きてみるのもいいという、本来選択は自由というのも思い出させてくれる。
でもね、だからと言って、無理して海外に出なくてもいいと思う。それぞれが、ふさわしい場所で、それぞれがふさわしいことをする役割があるから。
流れやご縁、抑えきれない衝動に素直に従えば、自然に、自分が果たしたい役割を果たせる場所に導かれる。そこで、会う必要のある人にも出会うことが出来る。
でも、自分の今いる社会で当たり前と思われていること、こうするほうがこの社会では、安定して生きれるという周囲からの抑圧(残念なことに、まだまだ日本の公的教育の多くがそれを子供に強制的に押しつけているように思う)から、そんな流れやご縁、衝動を“意志”の力で押さえつけて、なかったものにしてしまう技を、見事に身につけてしまった人 - 子供も大人も - が多いので、導きを無視して、スルーしてしまう人も多い(かく言う私もですw)。
「グッと!地球便」は、日本から飛び出し、海外で暮らす家族のおかげで、気づける視点に目覚めさせてくれる。
じゃあ、その視点を地球全体にしてみたら? 太陽系全体にしてみたら? 銀河系にしてみたら?
視点を大きくしていくと、目の前の現実的なことからは遠ざかる気がする。
でも、結局は、そこで自分の肉体は生きていく訳だから、日常的にすることはあまり変わらないから、そんなに心配することはないんじゃないかな。
目の前の日常的なことにとらわれすぎて、そこで我慢して、抑圧して、生きていくこともないということに気づけるじゃないかな。
大局を知ると、小さなことは誤差の範囲で気にならなくなる(「そんな細かいことどうでもいいでしょ!ほっといても、どうにかなるから大丈夫!ガッハハー!」と威勢よく笑い飛ばして、さらなる前進を続けるだけ)
一方、狭い窮屈な世界で、その中の視点でだけしか生きていけないとすると、ほんの小さな小さな微々たるホコリのようなことまで、生きるか死ぬかのおおごとになる。また、そこの範囲内で生きている人々同士で、監視しあって、抑圧しあって、みんなを同じ意識の範囲にとどめようと強制しあう。
人生経験が長くなっていくと、小さなブレは、そこで必死こいて直さなくても、さらに回転していくうちに勝手に調子が戻るというのも見えてくる。
しばらく観察しながら様子を見る、さらに悪化していきそうな兆しが見えたら早めに手を打って直す。自力で持ち直したら、それでよし という見極めも出来るようになっていく。
これも、大局で見ることが出来る人。
ちょっとでも、小さなブレが見えたら、もう、即刻とめて、修正してあげないとダメ!と、まるで生きるか死ぬかというくらいの必死さで、相手を強制的に“修正”しようと言う人は、、、、(全ての人がご存じだと思いますが、誰かに強制的に、有無を言わさず、無理矢理、急性的に押しつけるのは、逆に相手に負担をかけ、壊してしまう危険性が高いのは言うまでもありません。穏やかに時間をかけて、本人に適したペースで進めるのが、負担が少ないので一番よいです)
かなり、小さな視野で生きている、まだ“小さな人”(体の大きさや、大人、子供も関係ありませんw)
“小さな人”は、幼い子供と同じだから、たとえ、肉体年齢が何歳でも、どんな社会的地位がある人でも、これから成長していく伸びしろがいっぱいある人だから、あたたかく見守るしかありません。
あれ?なんでこんな話に?(笑)
そうそう、誰かを教え、導く立場の人で、そういう“小さい人”が結構いらっしゃるんですが、不幸なことに「先生」と呼ばれてしまうことで、あたかも自分が“大きな人”に、とっくの昔に達した偉大な導き手と勘違いしてしまう“小さな人”になっているのが、社会全体にとって、不幸なことになってるのを感じていたところでしたw
周囲も、違和感を感じていながらも、「先生」と肩書がついているだけで、その人を“大きな人”であるから、導いてもらって、ついていく!と頑張ろうとしてしまう。
その違和感、おそらく、直感が正しく働いています(^^;
精神的な師としなくてよい、いえw、しないほうがいいですw
その場にお世話になる上で、形として従う師しとして、そこに暮らす間だけ、カタチだけ従って、心は大局で生きれるように、導いてくれる師を他に探しましょうw
2014年12月25日
思いやれるかどうかも、トレーニング?
思いやりって、トレーニングなのかもしれない。
思いやるには、まず、相手のことに気づけないといけない。
気づくにも、ある意味、賢くなければいけない。色んなケースや状況を考えられるということだから。それもイメージ力。
こんな状況だったら、こんなことしてあげたら、嬉しいかもしれない。
サプライズで人をもてなせる人は、いつもそんなことを考えているから、確実に発想力や想像力も鍛えられるから、頭もよくなっていく。
そんなこと、イチイチ言わないと分かんないの?と思うけど、そう思う人は、きっと、“心で感じれば、そこで何をしたらいいかも分かる”と思い込んでいるんだろうけど(←私もコレw)、よく考えたら、今まで脳のデータベースで、色んな事例をインプットしてきたからこそ、自動的に浮かんでくるだけなのではなだろうか。
あと、自分がしてもらって嬉しかったことを、ただ、嬉しいだけに終わらせず、倍の喜びをお返しするという意識と練習と体感。
それらの情報が蓄積していって、出来ることなのかもしれない。
うちの息子を見ているとそんな気がする。
あたかも、欲しいものは、ベルトコンベアーに乗って目の前に来るから、それをとるだけ という感じなのが、小さな子供。
そのままほおっておいたら、そのベルトコンベアが誰が作ったのか、誰が動かしているのか、ベルトコンベアで運ばれてくるものは誰が準備して置いてくれているのか、なぜ、何も見返りを要求せずに準備してくれるのか、それに思いを馳せられないようにならないと、その子供が大きくなって、かつてその誰かが自分にしてくれてたように、自分も誰かにしよう!なんてならんもんなぁ
大人になっても、自分以外の人に対する発想力(=思いやり)が全くない人が結構いる。不幸なことに、そういうトレーニングや学びのチャンスのなかった人なのかもしれない。
そう考えると、今、うちの息子に、“こんなことまで言わないと分からないのか(#`皿´)”とイライラしてしまうことも多いけどw、“まだその過程だから、分からなくて当たり前” と、思っといたほうが、、、、。
あー、でも、直感的に分かると言うか、感じ取れる力の強い人は、いちいち言わなくても、こちらの思いを本能的に感じ取って、本能的にできちゃったりも。
女性は、それが日常的に出来るから、それが当たり前のこととして出来ない男の子にイライラしてしまうのかもしれない。
その力は、女の子が、ごく当たり前に出来てるような気がする。あと、直感力の強い子供。
そう考えると、それって厳密には性格とはいわないのかもしれない。
こういう時に、どう振る舞うか?という回路があるかないかの違いだけ?
となると、、、、大人が、いかに、子供が多くの回路を持てるように、導けるかという責任重大。
そもそも、その大人自身がそういう回路をいっぱい持っていないことには、教えといたほうがいい!なんて閃きも気づきもないから、教えようもないしねぇ
そう考えていくと、その親は、そのまた親に育てられ、その親も、、、となると、その家系に引き継がれてきた、そういう回路の欠如も同じく引き継がれる訳で。
それは、各自の性格ではないよね。
単に、そういう回路を自分で作れること、または、自ら作っていくものということを知らずに、何世代も経てきたに過ぎない。
あー、もしかしたら、それを何世代にも渡って続けてきたから、自分以外の人や存在に対する感受性、共感力、直感力も、どんどん鈍ってきて、トレーニングしないと出来なくなってきているとも言えるかもしれない。
そういう意味で言うと、自分の性格がどうとかで悩む必要もないのかもしれない。
単に、気づける能力、感じとる能力、知る能力、ある事態に出くわした時に発動出来る回路がないだけかもしれないのだから。それは、性格とは言わない。いや、今の世の中でいう性格とは、逆にそのことを指すということかもしれない。
思考回路を作るためトレーニングすること、そして、直感力、共感力を目覚めさせる何かの両方がいる。
それは、どこで出来るんだろうか? また、子供たちに教えるには、どうしたら、また、どんな形で伝えたらいいだろうか?
日常生活で、振り返ってみるといいかもしれない。
蛇足ですが(笑)、よく巷で聞く
「妻が病気で寝ていたら、自分だけご飯を食べてきて、病気の妻の食事のことが頭の片隅にもない」
という事例。
あれも、もしかしたら、その夫の子供の時に、親や祖父母が
「食べるものを準備してあげようね。病気の時は食事を作るだけの元気がないから」
と、その男の子に、しょっちゅう言っていたらどうでしょう?
そりゃ、観察力のある子供、直感力、共感力のある子供(大体、その比率は女の子のほうが高いです)なら、イチイチ言わなくても、直感的に分かると思いますが、、、
そうでない子供なら?
日々の躾として、気長に時間をかけて教えていくしかありません。
大人になってからも、妻が(感情的にならず、穏やかに)教えれば、
「分かった!」
と言って、病気の妻の食事も買ってきてくれるとも聞いています(でも、細かく、どんな食べ物かも、細かく伝えないと、揚げ物を買ってきてしまうともw。そもそもが、発想力とイメージ力がないということですから、仕方ないです(^^;)。
大人になると、根強い習慣として、身に付いてしまっているので、すぐに元に戻ってしまいますが、、、、
男の子を育ててると思って、気長に教え続けたら、そのうち、きっと出来るようになります。トレーニングですからw
しかし、、、彼が子供の頃に、それ、教え込んでいて欲しかったとも思ってしまいますよね。
仕方ないですよw、日本の文化がそうだったのですから。これから、気づいた人が変えていきましょう♪
思いやるには、まず、相手のことに気づけないといけない。
気づくにも、ある意味、賢くなければいけない。色んなケースや状況を考えられるということだから。それもイメージ力。
こんな状況だったら、こんなことしてあげたら、嬉しいかもしれない。
サプライズで人をもてなせる人は、いつもそんなことを考えているから、確実に発想力や想像力も鍛えられるから、頭もよくなっていく。
そんなこと、イチイチ言わないと分かんないの?と思うけど、そう思う人は、きっと、“心で感じれば、そこで何をしたらいいかも分かる”と思い込んでいるんだろうけど(←私もコレw)、よく考えたら、今まで脳のデータベースで、色んな事例をインプットしてきたからこそ、自動的に浮かんでくるだけなのではなだろうか。
あと、自分がしてもらって嬉しかったことを、ただ、嬉しいだけに終わらせず、倍の喜びをお返しするという意識と練習と体感。
それらの情報が蓄積していって、出来ることなのかもしれない。
うちの息子を見ているとそんな気がする。
あたかも、欲しいものは、ベルトコンベアーに乗って目の前に来るから、それをとるだけ という感じなのが、小さな子供。
そのままほおっておいたら、そのベルトコンベアが誰が作ったのか、誰が動かしているのか、ベルトコンベアで運ばれてくるものは誰が準備して置いてくれているのか、なぜ、何も見返りを要求せずに準備してくれるのか、それに思いを馳せられないようにならないと、その子供が大きくなって、かつてその誰かが自分にしてくれてたように、自分も誰かにしよう!なんてならんもんなぁ
大人になっても、自分以外の人に対する発想力(=思いやり)が全くない人が結構いる。不幸なことに、そういうトレーニングや学びのチャンスのなかった人なのかもしれない。
そう考えると、今、うちの息子に、“こんなことまで言わないと分からないのか(#`皿´)”とイライラしてしまうことも多いけどw、“まだその過程だから、分からなくて当たり前” と、思っといたほうが、、、、。
あー、でも、直感的に分かると言うか、感じ取れる力の強い人は、いちいち言わなくても、こちらの思いを本能的に感じ取って、本能的にできちゃったりも。
女性は、それが日常的に出来るから、それが当たり前のこととして出来ない男の子にイライラしてしまうのかもしれない。
その力は、女の子が、ごく当たり前に出来てるような気がする。あと、直感力の強い子供。
そう考えると、それって厳密には性格とはいわないのかもしれない。
こういう時に、どう振る舞うか?という回路があるかないかの違いだけ?
となると、、、、大人が、いかに、子供が多くの回路を持てるように、導けるかという責任重大。
そもそも、その大人自身がそういう回路をいっぱい持っていないことには、教えといたほうがいい!なんて閃きも気づきもないから、教えようもないしねぇ
そう考えていくと、その親は、そのまた親に育てられ、その親も、、、となると、その家系に引き継がれてきた、そういう回路の欠如も同じく引き継がれる訳で。
それは、各自の性格ではないよね。
単に、そういう回路を自分で作れること、または、自ら作っていくものということを知らずに、何世代も経てきたに過ぎない。
あー、もしかしたら、それを何世代にも渡って続けてきたから、自分以外の人や存在に対する感受性、共感力、直感力も、どんどん鈍ってきて、トレーニングしないと出来なくなってきているとも言えるかもしれない。
そういう意味で言うと、自分の性格がどうとかで悩む必要もないのかもしれない。
単に、気づける能力、感じとる能力、知る能力、ある事態に出くわした時に発動出来る回路がないだけかもしれないのだから。それは、性格とは言わない。いや、今の世の中でいう性格とは、逆にそのことを指すということかもしれない。
思考回路を作るためトレーニングすること、そして、直感力、共感力を目覚めさせる何かの両方がいる。
それは、どこで出来るんだろうか? また、子供たちに教えるには、どうしたら、また、どんな形で伝えたらいいだろうか?
日常生活で、振り返ってみるといいかもしれない。
蛇足ですが(笑)、よく巷で聞く
「妻が病気で寝ていたら、自分だけご飯を食べてきて、病気の妻の食事のことが頭の片隅にもない」
という事例。
あれも、もしかしたら、その夫の子供の時に、親や祖父母が
「食べるものを準備してあげようね。病気の時は食事を作るだけの元気がないから」
と、その男の子に、しょっちゅう言っていたらどうでしょう?
そりゃ、観察力のある子供、直感力、共感力のある子供(大体、その比率は女の子のほうが高いです)なら、イチイチ言わなくても、直感的に分かると思いますが、、、
そうでない子供なら?
日々の躾として、気長に時間をかけて教えていくしかありません。
大人になってからも、妻が(感情的にならず、穏やかに)教えれば、
「分かった!」
と言って、病気の妻の食事も買ってきてくれるとも聞いています(でも、細かく、どんな食べ物かも、細かく伝えないと、揚げ物を買ってきてしまうともw。そもそもが、発想力とイメージ力がないということですから、仕方ないです(^^;)。
大人になると、根強い習慣として、身に付いてしまっているので、すぐに元に戻ってしまいますが、、、、
男の子を育ててると思って、気長に教え続けたら、そのうち、きっと出来るようになります。トレーニングですからw
しかし、、、彼が子供の頃に、それ、教え込んでいて欲しかったとも思ってしまいますよね。
仕方ないですよw、日本の文化がそうだったのですから。これから、気づいた人が変えていきましょう♪
2014年12月25日
強力なジンクスを身につける練習としても。

フラワーエッセンスは、通常、保存料としてブランデーなどが入っている液体をスポイドつきキャップから垂らして飲んで、使用します。
ただ、日常で、このような飲み方をすることがほとんどないので、習慣として身につくまで、結構時間がかかります。
お子さんにもすぐに与えられ、飲ませやすいというのと、大人でも気軽に口にできるように、フラワーエッセンスをシュガーグラニュール(砂糖玉)に吹き付けたものや、キャンディにしたものなどがあります。
スポイドつきのキャップは、持ち歩いていると、スポイドの部分のゴムが傷んだり、経年劣化でゴム臭くなってきたりする場合もあるので、もしかしたら、これらのタイプのほうが保管しやすく、長持ちするかもしれません(使いやすくなるので、すぐに使い切れるようになるかもしれません)
このタイプの、レスキューレメディを一つ、すぐ手の届くところに置いておいて使ってください としばしばご紹介します。
レスキューレメディは、汎用的に、どんなケースでも使っていただけるエッセンスです。悪いほうにも、いいほうにも、感情が激しく動きすぎて、自分を見失って、冷静に対処できない時に使うことで、自分を冷静に取り戻せて、適切な対応ができるようになります。
困った時、動揺した時 etc. 要は、自分の頭で考えても、どうしたらいいのかアイディアが浮かばない時です。
そんな時に、すぐ使ってください と、お伝えしているのですが、やっぱり、“特別なツール” だと思っていると、“特別な時にしか使わない” ようになってしまうようです。
フラワーエッセンスは、特別な魔法の薬ではありません。 日本人にとっての梅干ぐらいのイメージで、気軽にすぐに使ってください。気軽な日用品です。
でも、フラワーエッセンスが持つ、自然のパワーへの畏敬の念がそうさせてしまうので、それも仕方がないと思います。
では、どうやったら、もっと気軽に使っていただけるか? 困ったとこがあったら、“とりあえず、レスキューレメディ飲んでみよう!” と、思いついていただけるか?
ぴん! 閃きました(笑)
スポーツ選手をはじめ、世間で名を馳せた方の多くが、もっておられる習慣。
それは、
【ジンクス】
です!
こうすると絶対に勝てる と本人が持つ信念です。
たとえば、、、 有名人の具体的なジンクスを書こうと思って、調べていたら、こんな本がヒットしました。
(長嶋茂雄さんのジンクスの話を聞いたことがあったので、「長嶋茂雄 ジンクス」と検索してみたら、出てきました。長嶋茂雄さんは、飛びぬけた才能をお持ちの方ですが、直感型の、はたからみれば“変わり者”にしか見えない人だったようで、変わったジンクスをお持ちだったようです)
「努力」が報われる人の心理学 結局、努力をつづけた人の勝ち
私も今度読んでみようと思います(^^)
自分だけのジンクスを持つ人は、思いを実現する力が強いです。
この本の中には、こう書かれていました。
『どんな物事が起きても、「それは良いことのしるし」という具合に思い込んでしまえばいいのである』
これができれば、そりゃいいわなぁ、、、、 と思いますが、なかなかできるもんではありませんw
でもね。もう一度書きます。
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レスキューレメディは、汎用的に、どんなケースでも使っていただけるエッセンスです。悪いほうにも、いいほうにも、感情が激しく動きすぎて、自分を見失って、冷静に対処できない時に使うことで、自分を冷静に取り戻せて、適切な対応ができるようになります。
====================================
レスキューレメディの力を借りれば、一人で気力で努力しなくてよいのでラクです。
そして、
【何か困ったことがあったら、レスキューレメディを飲んだら大丈夫!】
というのを、自分だけのジンクスにしてしまうとよいのです。
“自分だけのジンクスを何か一つ持ちましょう!” と言われても、頭で考えても、なかなかできるものではありません。
「レスキューレメディを飲む」と決めてしまえば、ラクではないですか?
また、実際に、そういうサポートもしてくれるツールですから、、、、 お勧めですよ(^^)