2017年05月11日

“普通”であること

今日は、ただの駄つぶやきです。お暇な方だけ、どうぞお読みください。

ここしばらくの間、こんなところに出入りしたり、関わったりしています。

 ・ 介護初任者研修

 ・ 介護施設

 ・ 精神薬被害者の会

 ・ 発達障害・ADHDなどの支援情報

 ・ 寝たきりで意思の疎通を図れない人とのコミュニケーション

 ・ 知的障碍者と共に働く職場

 ・ オルタナティブな居場所作り(※オルタナティブとは、「現在主流でないもの、現在の社会や仕組みでは実現できないこと」と言った意味合い)

などなど。


どこに行っても、同じことを感じます。

スミマセン、困難な状況の方々やお立場の方々が

ご気分を害すると思うのですが、今回はそういう視点とは

また別の視点で見たいので、お許しを。


社会的に困難な状況の方々やお立場の方々の

支援はこれからもまだまだ必要だと感じていますし、

どんどん支援も必要だと私も思っております。


それとは別に、今回は、大多数いる

抑圧されている“普通の方々”の立場に

寄り添って考えてみたいのです。


メディアや映画、マンガなどは、

人々が望んでいること、関心を持っていること、

社会の風潮を反映しています。


こうであるべき、こうでなきゃいけない、

こうなりたい、こんなのおかしいんじゃないか!、

こうなってほしい! と言った思いや、

希望、絶望などが表現されています。


アニメ映画「君の名は。」の華々しいヒットの裏で、

アニメ映画「この世界の片隅に」

地道に話題となって広がっています。


多くの友人、知り合いが、

『「君の名は。」もいいけど、「この世界の片隅に」のほうが私は気に行った!

みんなにもぜひ観てほしい!!』

と熱烈に紹介していました。


そのため、興味津々で調べましたが、

内容紹介を読むと、主人公すずさんの

人生を淡々と描くアニメで、

一言でいうなら“地味”なアニメ。


なぜ、そんな“地味”なアニメが

多くの人々の心をとらえるのだろう?と

不思議で観に行ってみました。


いい映画ですよ。ぜひ観てみてください。

「君の名は。」が、不思議要素ありありで、

現次元だけでなく、他の次元や空間にまで

意識や視野を広げてくれるワクワク感が

ある一方、「この世界の片隅に」は、

“もっと、【普通であること】の大切さと幸せ、

泥臭く必死に生きる中に、たくさんの幸せや

光が散らばっていること。それにいかに

気付けるか、大切にできるかが

自分を幸せにできるかどうかの分かれ目”

という、この現世にしっかりと根を張り

生きること(スピリチュアル用語では、グランディング)

の喜びと、生の実感を思い出させてくれる。


この感覚、“普通でいたら、誰にも注目

されないし、愛されない、認められない” という

風潮が暴走している現代、みんな忘れてるんですよね。


奇をてらったことをして注目されたいあまり、

いきすぎて、理性と常識を失い、自らを

貶めるYouTuberが増えているのが

その象徴。


でも、多くの人が、もうそれに

うんざりして、“普通であること”の

凄さや幸せに気づいてきはじめているのが、

「この世界の片隅に」の根強い人気の

広がりとして現れているのではないのかと

思うのです。



社会的弱者のために

準備された特例を悪用する人や、

そういった人々への迫害や、

いじめ、差別や偏見ゆえに、

起こった悲しいニュースが多いです。


そういった方々の心の叫びとして、

感じるのは、こういう思い

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“私だって精一杯頑張って、もう

ボロボロなのに、なんで私は誰も

助けてくれないの?! 

あの人たちは、

私みたいに誰かの役に立ってないのに、

私よりも大切にされている。

社会的に保障されている。

私には何もないのに!!

なんでなの?

こんなに一生懸命

必死に頑張って、もう限界なのに、

あの人たちのために、

もっと頑張れって言うの?!

もう無理だよ!!

誰かこの状況から私を

助けて!!”

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そんな追い詰められた心境、また、

心身の状態にいる人は、目の前にいる

弱者をいじめてしまうのだと思います。


かつての日本もそうでしたが、

社会に余裕のない国では、

社会的弱者の尊厳は

踏みにじられてきました。


閉じ込められたり、自由を拘束されたり、

一個人として扱わらず、ひどい扱いを

受けたり。


多くの人の努力と運動で、

現代日本では、人間の尊厳を第一とし、

介護や障碍者支援の世界では、

“その人の個性、生き方、思いを

最優先とし、それを実現できるよう

サポートすること” を重視するよう、

指導されます。


素晴らしいことです。

どんどん進化しています。


さて、その世界の意識はどんどん

進化してきましたが、そのほかの一般は

どうでしょうか。進化しているでしょうか。


そうではないですよね。


一人一人をかけがいのない個人として

尊重しサポートする支援があれば

起こらないようなブラック企業、鬱、

自殺など。

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「生きるのが、死ぬよりつらい」…高校生、過労死を考える 過労死遺族らが出前授業
http://www.sankei.com/smp/west/news/170308/wst1703080045-s1.html
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介護の理念を聞いても、知的障碍者の職場支援の話を聞いても、

発達障害の支援の話を聞いても、寝たきりの人のサポートの話を

聞いても、どこの現場でも、絶対に出てきます。


その人の個性、生き方、思いを知る努力。

それらを必死に観察し、感じ取り、見出したら、

それを最大限尊重し、それを実現できるよう

周囲が一丸となってサポートすること



それを聞くたびに、私はいつも思うのです。

普通の人も、そうやって扱えば、世界はもっと平和になるし、みんな幸福感に満たされて、優しくなれるんじゃね?


ってか、自分がそう扱われたことのない人が、果たして、他の人に、それを提供できるのか?


社会的弱者のサポートシステムを、そのまま、一般社会にも、同じように適用しないと難しいんじゃないかと思うのです。

なんでそうしないのかな? 

【普通】の人は、自力で頑張れ!自力でやれ!

どんな扱いをしたって、普通の人なんだから、

ちょっとぐらい大丈夫。ちょっとやそっとじゃ死にゃしない!


と扱ってるからじゃないかと。。。。


息絶え絶えになっている“普通の人”も、きめ細かいサポートしないと、社会は変わらないし、動かない。優しい社会にはなれない。 もっと、“普通であること” も、賞賛しなければならない時代。突飛なことをしなくても、奇抜なことをしなくても、“普通”であることが、ものすごいこと、普通であることが出来る人がスゴイ人であることに、みんなが気づかなければならない。「この世界の片隅に」のヒットは、そのことを感じる人がどんどん増えているせいではないかと思うのです。

どうにかなんないのかな。。。 

最近思うのは、大きな組織になりすぎて、すっかり硬直して、柔軟性がなくなってしまった今のシステム内で、どうにかしようと思っても無理なのかもしれない。。。ということ。

いったん、ぶっ潰して、新たに作らないと無理なんだろうか。

ちなみに、介護や障碍者の支援で、人間の尊厳を尊重するという輝かしい理念が固まり出したのは、ついこないだみたいなもので、始まったばかりとも言えます。長年固定した価値観と抑圧で続いてきた業界は、色んなしがらみや、利権などが絡んできて、変わるのも難しい。経済的にも安定するから、なかなか離れられないんですよね。。。  

Posted by フラワーエッセンス研究家 葛葉 at 09:37つれづれ

1990年にフランスで開催されて以来、世界各国で開催。
これまでで最大規模で、2014年5月2日~6日 日本で13年ぶりに開催。