2015年07月17日

誕生日の祝い方

誕生日

お誕生日は、どのようにお祝いしてますか?

子どもの頃は、親や祖父母、友達に祝ってもらうのが当たり前。大人になれば、その時付き合っている人に。

それが誕生日の“当たり前”の姿。


はたしてそうでしょうか?


自分の周りに家族や友達、彼氏彼女がいつもいるのが当たり前の、そんな時期を過ぎた後は、どうでしょう?

職場で誕生日に気づいてもらうこと、また、気づいてあげることは、あんまりないかもしれません。

自分が大人になったり、親になってしまうと、今度は“奉仕”する側になるので、自分の誕生日は家族にすら意識されなかったり、気づいてもらえなかったりします。

子どものいる家庭では、お母さんが結構そう。お母さんは、子どもや夫の誕生日は大切にして祝ってあげようとするけど、自分は祝ってもらえない。

独身の人の場合も、彼氏彼女がいない時は、似たようなものでしょう。

友達ともなかなか遊んだり、会うことがなくなるので、SNSでメッセージが来て、そのお礼を返すのに疲れるだけで、実生活で、誰かに愛をこめて祝ってもらうことは、ほぼ、なくなってきます(もちろん、そうでない人もいっぱいいますけど)。

自分の誕生日に、“誰からも何もしてもらえない” と思った時、わびしく感じたり、時には、身近にいるのに気遣ってくれない家族に対して怒りが湧いたり。とりあえず、誕生日だから、いつもはしない特別なことをしてみようとしてみたり。

でも、そんな家族に祝ってもらおうとすればするほど、または、“いつもと違う特別なこと”をしようとすればするほど、さらにむなしくなりません?

そして、誰も自分のことなんて気づいてくれない、私のことを思ってくれる人はいないなんて思って、さみしく感じるのを、SNS上のメッセージでかろうじて心を慰められるけれど、日頃ほとんど交流がなくて、よく知らない人からの一般的なお祝いメッセージは、社交辞令にしか聞こえなくて、あまり嬉しくない。

あ、そんなことないですか? それは申し訳ありません<(_ _)> そうでない人は、ここから先は必要ありませんから、立ち去ってくださいね♪




20代、30代の頃は、そんな風な感じでした、私。

でも、ある時、気づきました。 

“誰かに自分の誕生日を祝ってもらえるかどうかで、自分の価値を測ろうとするなんておかしくないかい?”

“どのくらい多くの人に、自分の誕生日に気づいてくれて、祝ってもらえるかというのを基準にしてない? でも、その基準って、何の基準?何のための基準?”

“それって、誰かに、いつも、自分の価値を証明してもらわないといけないってことじゃないの?”

こりゃ、おかしな思い込みです(笑)。 

神様ならさておき、不完全で、気分屋で、無責任な人間の一人である誰かに、自分の価値証明書を発行してもらいに行くようなものでしょ? 

自分がその人の奴隷で、その人から一生逃げられず、嫌でも従うしかないというのであれば、それも分かります。

でも、そうではないし、自分の周りにいる人もくるくる変わって行きますから、どの人にどのくらい価値を認めさせたら自分がOKなのか?なんて基準もございません。

それに、どんなにいっぱいの人に祝ってもらおうが、口先だけの愛のない山ほどの人たちから、祝ってもらっても、嬉しいどころか、逆に、謹んで辞退したいw



誕生日は、自分が生まれてこれた日を感謝する日。

自分が生まれてきてから、今日の誕生日まで、様々な人や目に見えない存在に守られ、導かれ、今ここにいる“奇跡”に感謝する日。

自分がなぜ生まれてきたのか分からないけれど、きっと意味があって生まれてきて、そして、きっと、自分が生まれたい!と強く思ったからこそ、この世に“出現できた”日。

その奇跡を改めて感じ、“今ここにいる自分” のすごさに気づく日。

今日のこの日まで、こうして生きてきた自分を褒めて認めてあげる日。 

「あなた、スゴイね!!!」と自分を心から褒めちぎってあげる日。

そんなことを思っていると、自分の体がこうして、今ここに存在できているのも、脈々と引き継いできた命があってこそということにも気づいてきます。

スゴイね!! 

そんな風に、誕生日を自分1人でニヘニヘ♪と変態のように(笑)味わっていると、不思議なことに、これまで自分の誕生日を忘れていた家族が、誕生日に何かをしてくれるようになりました。

これも、エネルギーの法則です。面白いですね。

かつては、“誰も祝ってくれない”と凹んでいた自分が、あんなに誰かから祝ってもらうことを渇望していたのに、もうそうではなくなっているので、餓鬼のように(笑)、それに喰いつくことはありません。

なぜなら、そんな風に、自分で自分を思いっきり祝ってあげられるようになると、最大限に自分を満たせるので、足りないものはなくなってくるのです。

幸せに満ち満ちている中に、さらに美しい花を一輪添えらたような気がして、優雅にニッコリ♪微笑んで、心から感謝の言葉を返すのみ という、女神のような気分になれます(笑)。



そんな楽しみ方を一人でしていて、誰に押しつけるつもりもなかったのですが、本日息子の誕生日に、たまたま配信されたメルマガからたどってネットサーフィンをしていると、こんなページにたどり着きました。

誕生日絵本
絵本・たんじょう日ありがとう(男の子編)




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Posted by フラワーエッセンス研究家 葛葉 at 15:25 │つれづれ


1990年にフランスで開催されて以来、世界各国で開催。
これまでで最大規模で、2014年5月2日~6日 日本で13年ぶりに開催。