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2015年03月13日

思考で考えない・感じる その2

 谷村新司の不思議すぎる話

昨日の日記「思考で考えない・感じる」 につけた写真は、そうです、「昴(すばる)」です。

その話は、後でまた出てきますw

先に、「光の医学―光と色がもたらす癒しのメカニズム」という本の巻頭に書かれている言葉。


抜粋ここから↓---------------------------------------------------------------

1975年、私は「オープン・フォーカス」と名付けた視力の改善方法を開発し始めた。

すると、すぐにこの手法の効果は、視力だけにとどまらないことが分かった。

この手法は、人間の行動のある特定の側面に基づいている。私が長年観察しているその行動とは、人生の経験に私たちが日常的にどう取り組み、どう学ぶかということに関わっている。

私が気づいたのは、たいていの人は、いつも何か特別なことを人生に探し求めており、その過程では探す対象以外のものをどれも見過ごしているということである。

人生の新しい発見のほとんどは、実際に探し求めていないときに起こるようであり、私たちのいつもの見方では、現実のほんの<一部>を見たり、経験したり出来るに過ぎないということが分かってきた。



この認識に基づいて、私は、何も見つめていなければ、あらゆることが眼に入るのではないかとの仮説を立てた。

自分の生活の中で、この仮定を実験してみると、劇的な効果が現れた。

視野が拡大したのに加え、近視が回復し、視覚が向上し、痛みが減った。

しかも、見方が変わったので、以前は眼に入らなかったり、あるいは、考えてもみなかったものさえ見ることができるようになった。

第一の発見は、私の見方が変わったために、人々の体のまわりのオーラが時折見えるようになったことであった。

次に、空気が眼に見えないのは、これまで考えていたとおりだったが、実際には空気が、粒子と波の形をした目に見えるエネルギーを持っていることに私は気がついた。

こうした発見から、私は、


人間は自らすすんで見るのではなく、受動的に見るようにできていること、

受動的に見れば、眼は私たちの思うままに見えるように出来ていることが分かった。

  
つまり、<視覚に努力は必要ない> ということである。



私たちは、映画を見るのと同じように、努力しないで人生を見るようになる必要がある。

努力のいらない機能に努力を傾注しても、その流れるような動き、能率、与えられる快適さ、動作の邪魔になるだけだ。

残念ながら、いつも見ることに努力を注ぐあまり、眼に見えるはずの自然界や生命の軌跡が見えてこない人がほとんどである


(中略)

実験の主眼は、自分の心と眼を統合することである。

(中略)

眼は、そのまま自由に見ることを許されれば、その場にそぐわない、あるいはあまり経験したことのないものに、私たちの注意を向けさせるということである。

たとえば、画家の仕事。

絵を描いているとき、出来具合をチェックするために、画家はよく後ろにさがって、ありのままの絵をじっと見つめる。

それは画家が何か特別なものを探しているのではなく、眼がおのずからその場にふさわしくないものを探れと指示しているかのようである。

私たちの身体システム全体と同様に、知覚システムも、全く同じように働いていることを示す手掛かりとなる。

私の見る方法には、大きな目的があること、そして、本能的に私が引き寄せられる事物が重要であって、それが私の関心をひきつけるということがすぐに分かり始めた

抜粋ここまで↑---------------------------------------------------------------


要はですね、何か自分が目的を持つと、眼などの知覚システムが、高度なレーザーとなって、必要なものを勝手に探し出し、見つけたら、それに私たちの関心をひきつけるということです。

頭で考えてないですねw



谷村新司さんの楽曲「昴(すばる)」は1980年に発表された歌です。

そのため、この本も、昔に出版されたのかと思っていましたが、まだまだつい最近。 2014年1月30日でした。

また、てっきり、谷村新司さんが「昴(すばる)」の歌に関することだけを書かれているもんだと思っていましたがw、いやはや、もっとすごいようです(まだ全部読んでないのでw)。

宇宙の仕組み、神秘や繋がり etc.  子供も大人も楽しめそうな内容です。


「昴(すばる)」の歌詞の意味は、実は、谷村新司さんも自分で作っていながら、意味が分からず、数十年きたそうです。

谷村さんの曲の作り方は、いきなり、音楽と歌詞がそのまま、頭の中に聞こえるので、それをすぐに書きうつすという作り方なんだそうで、「昴(すばる)」もそうやって生まれたため、意味がよく分かんなかったんだそうです。

それが、ここ数年の間に分かってきたので、それを紹介しつつ、そのつながりで、宇宙のことや様々な繋がることを書いて下さっている本です。

「昴(すばる)」の最初の歌詞 「目を閉じて 何も見えず」というフレーズ。


抜粋ここから↓---------------------------------------------------------------

普通に考えると、目を閉じたら、何も見えないのは当たり前です。

でも、その感覚がすでに物質文明に毒されている証拠。

目に見えないモノをきちんと見ようとする姿勢があるならば、目を閉じてから、見えてくる景色があります。

それは「故郷の景色」だったり、「両親の兄弟の顔」だったりしますが、それがその人の原風景なのです。

その景色にこそ、目に見えるモノだけに囚われない、新しい生き方のヒントが隠れています。

それを、「目を閉じて 何も見えず」という歌詞は暗示していたのです。

抜粋ここまで↑---------------------------------------------------------------


どちらの本も、キーワードは「見る」です。

「見る」っていったい。。。。。  

すっかり物質世界とお金と欲望と常識と、世間体、自分で作り上げた思い込みの世界 etc. だけを見るのが当たり前すぎて、それしか見えない「目」だったとしたら。。。。

自分が見ていると思っているものの横に、とても美しい花が咲いていたとしても、見えないどころか、存在することさえ気づいていないかもしれない。 自分を助けるもの、自分に必要なもの、自分が求めるものが目の前に来ていても、見えていないかもしれない。

一生懸命必死に見たいものをみなければ!!と自分が必死に頑張らなくてもいいのかもしれない。

あぁ、そういえば、視覚や視野は、自分の世界の見方を象徴しているとも言いますねw


「光の医学―光と色がもたらす癒しのメカニズム」の著者ジェイコブさんの言うような見方なんて、いったいどうしたら出来るのか分かんない! 今まで何も考えずに“普通に”見てきただけだから、ここのどれを直したらいいのかも、さっぱり分かんない(T△T) という状態なら、「昴(すばる)」の歌詞の「目を閉じて 何も見えず」になったらいいのでしょう。


“頭で考えずに分かるようになるには、どうしたらいいの?” の答えになるかもしれません(^^)









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Posted by フラワーエッセンス研究家 葛葉 at 12:03 │つれづれ


1990年にフランスで開催されて以来、世界各国で開催。
これまでで最大規模で、2014年5月2日~6日 日本で13年ぶりに開催。