2016年06月28日
「自閉症の僕が跳びはねる理由」から その2
こんなに発達障害が増えてくると、彼らの存在は、頑固な私たちが変わらざるをえないようにするために、現れたメッセンジャーなのかもしれません。
多くの著書を出しておられる、ある劇作家の竹内 敏晴さんのこんな記述が、ずっと頭に残っています。
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竹内 敏晴さんについて Wikipedia
著書「ことばが劈(ひら)かれるとき 」
著書「「からだ」と「ことば」のレッスン」
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その方は、幼いころから難聴で、ほとんど耳が聞こえず苦労した。成人した頃、とても幸運だったそうですが、ほぼ常人と同じように聞こえるようになり、とても喜んだそうです。
なぜなら、耳が聞こえないことで、人とのコミュニケーションに苦労したので、耳が聞こえるようになれば、さぞ、人とコミュニケーションしやすくなるだろうと。
しかし、現実は、鬱になったそうです。 なぜなら、これまでは、人の表情やエネルギーを読んで、相手の言いたいことを感じ取っていたけれど、耳が聞こえるようになると、相手が言っていることと、それが全く一致しないことを思い知り、混乱したから。 時間とともに、彼は気づきます。 耳の聞こえる人のほうが、本当はちゃんとコミュニケーションできていないことに。自分の本心すら、自分でも分からないまま、記号で伝えているから、言葉が意味をなしていないことに。
それから、その方は、自らの劇団で、体から心の滞りを開放するワークショップを流れですることになっていくのですが。。。。(特に、教師や公務員の人が、そのかい離がありすぎるほどだったそうです)。
このブログに以前書いた「ゴースト・ボーイ」で気づく人間の力 Part-1」に興味を持ったのも、これがずっと頭に残っていたからです。
「自閉症の僕が跳びはねる理由」の著者の東田直樹さんは、自閉症がどんなものであるかを、この著書でつづってくださっています。
驚くことに、彼の場合、
「体はまるで壊れたロボットみたいで、いうことを聞かないどころか、暴走して自分にもどうすることもできない」
「答えたくても、言いたいことと違う言葉や、意味不明の音を口から出してしまうのを自分では止めることができない」
「(普通の人のように)記憶が時系列に並んでいないので、きゅうに昔の記憶がフラッシュバックして、その時の恐怖や不安、喜びや興奮で体が勝手に動いてしまう」
「ぱっとみて興味をひかれた途端、勝手に体がそれが飛びついてしまう」
などなど。
しかし、心は普通の人と同じで、人に迷惑をかけたくないのにそうせざるをえない自分に傷ついたり、自分の思いを伝えたいのに、体が従ってくれないことに絶望したりしているそう。
東田さんの場合は、思うようにならない体で、しゃべって伝えることはできないけれど、パソコンで文字を打つことで、そんな状態や思いを表現することができました。
東田さんは、こう書いています。
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声は出せても、言葉になっていたとしても、それがいつも自分の言いたかったこととは限らないのです。普通に返事するだけでも、「はい」と「いいえ」を間違えてしまうこともあります。
僕の言った言葉で、相手が誤解したり勘違いしたこともたびたびあります。
僕は、ちゃんとした会話がほとんどできないので、そのことで訂正することも無理だし、どうすることもできないのです。そんなことがあるたび、自己嫌悪に陥り、もう誰とも話をしたくなくなります。
僕たちの話す言葉を信じすぎないでください。
(僕たちは)態度でも上手く気持ちを表現できないので、難しいと思いますが、僕たちの心の中を分かってほしいのです。基本的には、みんなの気持ちとそんなに変わらないのですから。
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「ゴーストボーイ」の著者のマーティンさんは、東田さんとは逆で、全く体が動かせない状態でした。 意識は、はっきりしていて、相手に伝えたいのに、体がいうことが聞かないのは同じですが。
彼らの意識ははっきりしていて、とてもよく理解している。 ただ、体が全くいうことを聞かないので、普通の人のように、話したり、しぐさやジェスチャーで伝えられない。
さあ、彼らの思いを知るには、どうしたらよいのでしょう?
私たちが、どんなに「言葉」に頼らないと、相手と全くコミュニケーションをとれないということに気づかされて、愕然とします。
もしかしたら、そんな言葉だけでしかコミュニケーションをとれない状況から、そろそろ抜け出して、進化しようよ!というメッセージなのかもしれません。
(その3につづく)
多くの著書を出しておられる、ある劇作家の竹内 敏晴さんのこんな記述が、ずっと頭に残っています。
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竹内 敏晴さんについて Wikipedia
著書「ことばが劈(ひら)かれるとき 」
著書「「からだ」と「ことば」のレッスン」
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その方は、幼いころから難聴で、ほとんど耳が聞こえず苦労した。成人した頃、とても幸運だったそうですが、ほぼ常人と同じように聞こえるようになり、とても喜んだそうです。
なぜなら、耳が聞こえないことで、人とのコミュニケーションに苦労したので、耳が聞こえるようになれば、さぞ、人とコミュニケーションしやすくなるだろうと。
しかし、現実は、鬱になったそうです。 なぜなら、これまでは、人の表情やエネルギーを読んで、相手の言いたいことを感じ取っていたけれど、耳が聞こえるようになると、相手が言っていることと、それが全く一致しないことを思い知り、混乱したから。 時間とともに、彼は気づきます。 耳の聞こえる人のほうが、本当はちゃんとコミュニケーションできていないことに。自分の本心すら、自分でも分からないまま、記号で伝えているから、言葉が意味をなしていないことに。
それから、その方は、自らの劇団で、体から心の滞りを開放するワークショップを流れですることになっていくのですが。。。。(特に、教師や公務員の人が、そのかい離がありすぎるほどだったそうです)。
このブログに以前書いた「ゴースト・ボーイ」で気づく人間の力 Part-1」に興味を持ったのも、これがずっと頭に残っていたからです。
「自閉症の僕が跳びはねる理由」の著者の東田直樹さんは、自閉症がどんなものであるかを、この著書でつづってくださっています。
驚くことに、彼の場合、
「体はまるで壊れたロボットみたいで、いうことを聞かないどころか、暴走して自分にもどうすることもできない」
「答えたくても、言いたいことと違う言葉や、意味不明の音を口から出してしまうのを自分では止めることができない」
「(普通の人のように)記憶が時系列に並んでいないので、きゅうに昔の記憶がフラッシュバックして、その時の恐怖や不安、喜びや興奮で体が勝手に動いてしまう」
「ぱっとみて興味をひかれた途端、勝手に体がそれが飛びついてしまう」
などなど。
しかし、心は普通の人と同じで、人に迷惑をかけたくないのにそうせざるをえない自分に傷ついたり、自分の思いを伝えたいのに、体が従ってくれないことに絶望したりしているそう。
東田さんの場合は、思うようにならない体で、しゃべって伝えることはできないけれど、パソコンで文字を打つことで、そんな状態や思いを表現することができました。
東田さんは、こう書いています。
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声は出せても、言葉になっていたとしても、それがいつも自分の言いたかったこととは限らないのです。普通に返事するだけでも、「はい」と「いいえ」を間違えてしまうこともあります。
僕の言った言葉で、相手が誤解したり勘違いしたこともたびたびあります。
僕は、ちゃんとした会話がほとんどできないので、そのことで訂正することも無理だし、どうすることもできないのです。そんなことがあるたび、自己嫌悪に陥り、もう誰とも話をしたくなくなります。
僕たちの話す言葉を信じすぎないでください。
(僕たちは)態度でも上手く気持ちを表現できないので、難しいと思いますが、僕たちの心の中を分かってほしいのです。基本的には、みんなの気持ちとそんなに変わらないのですから。
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「ゴーストボーイ」の著者のマーティンさんは、東田さんとは逆で、全く体が動かせない状態でした。 意識は、はっきりしていて、相手に伝えたいのに、体がいうことが聞かないのは同じですが。
彼らの意識ははっきりしていて、とてもよく理解している。 ただ、体が全くいうことを聞かないので、普通の人のように、話したり、しぐさやジェスチャーで伝えられない。
さあ、彼らの思いを知るには、どうしたらよいのでしょう?
私たちが、どんなに「言葉」に頼らないと、相手と全くコミュニケーションをとれないということに気づかされて、愕然とします。
もしかしたら、そんな言葉だけでしかコミュニケーションをとれない状況から、そろそろ抜け出して、進化しようよ!というメッセージなのかもしれません。
(その3につづく)